Knowledge Integration through Detecting Signals by Assessing/Scanning the Horizon for Innovation

事故で怪我を負った後、怪我が治っても痛みが長期にわたり続く場合があります。時には、通常では痛みを感じないごくわずかの刺激、例えば、ほんの少し触れただけでも強い痛みとして感じる場合もあります。こうした異常な痛みが何故生じるのかは、ほとんど明らかにされていませんでした。しかし、近年の神経科学の発展により、そのメカニズムが徐々に明らかにされつつあります。このため、異常な痛みの予防や新しい治療法につながることが期待されています。

慢性の痛みと感覚異常

痛みは、身体の異常を知らせる警告反応として重要な役割を果たす一方、不快な症状として日常生活に支障をきたし、生活の質を低下させる要因にもなります。その類型も経過・時間により急性と慢性の痛みとに分けられます。一般的に、3ヶ月、または6ヶ月以上続く場合は慢性の痛みとされます。慢性の痛みを抱えている人は多く、これまでの実態調査によると、わが国では全成人の22.5%、推計患者数は2,315万人と報告されています1)

痛みの原因は、がんやリウマチなどの疾患から複合的な症候群まで多種多様です(以下、疾患等)。疾患等や事故による怪我などにより末梢の神経が傷つくと、その傷が治っても慢性の痛みが続く場合があります。通常では痛みを感じないごくわずかの刺激、例えば、ほんの少し触れただけでも強い痛みを感じてしまう異痛症(以下、アロディニア)になってしまうこともあります。アロディニアでは、一般の消炎鎮痛薬や慢性の痛みの薬であるモルヒネやプレガバリン、ガバペンチンなどが効かない場合が多く、臨床医療の現場においては治療が最も困難な病態の一つとされています。なお、アロディニアと似た症状として痛覚過敏がありますが、通常痛みを感じる刺激の場合により強い痛みを感じるという点がアロディニアと異なります。

慢性の痛みに対する我が国の取組み

慢性の痛みの原因や程度は様々なので、がんやリウマチといった疾患等別、いわゆる原因別に痛み対策を講じるだけではなく、痛みという症状自体にも着目して横断的に対策を講じるべきだという考えが主流になっています2)。我が国でも、慢性の痛みに対して国家的に取組みが進められてきました。その一環として、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(以下、AMED)では、慢性の痛みに関する基礎研究から臨床研究まで幅広い研究開発課題を支援しています。先端的研究開発により医薬や医療機器などのシーズの創出を目指す「革新的先端研究開発支援事業」(以下、AMED-CREST)3)、痛みの実態調査や評価法の開発などを通じて病態の解明や治療法の開発に取組む「慢性の痛み解明研究事業」1)などの事業が実施されています。

神経科学によりアロディニアにおける脳内の変化が明らかになる-慢性の痛みのメカニズム解明や予防・治療法の開発へ前進-

末梢の神経が傷つくと、その傷ついた箇所から脊髄を通じて脳の外側に位置する大脳皮質へと電気信号が送られ、痛みや触れる感覚が生じます。このため、慢性の痛みに関しては、脊髄と脳の双方を解析する必要がありますが、これまでの国内外の研究では脳を解析する方法が限られていたので、主に脊髄を対象にした研究がほとんどでした。

これまでの研究に一石を投じる成果が、2016年4月に日本の研究チームから出されました4)、5) 、6)。これは、2009年度に設定された文部科学省の研究開発目標「神経細胞ネットワークの形成・動作の制御機構の解明」に基づいて進められたAMED―CRESTの研究チームの成果です7)、8)

研究チームでは、末梢の神経を傷つけてアロディニアの症状を再現したマウスを用意し、2光子吸収過程を利用した蛍光顕微鏡を用いて、生きたままで脳の微細構造を観察する方法(以下、2光子励起顕微鏡法、脚注を参照)を採用しました。すると、痛みや触れる感覚に関係する大脳皮質において神経細胞同士のつながりが変化していることがわかり、その結果、ほんの少し触れただけで強い痛みが生じることを世界で初めて明らかにしました(詳細は図表1~2を参照のこと)。さらにその現象は、神経細胞の周りに存在するアストロサイトという細胞の活動が亢進することによって生じることを示したのです。アストロサイトの活動を阻害すると痛みが軽減することからも、痛みとアストロサイトの関係が明らかになりました。

新しい実験手法「2光子励起顕微鏡法」による成果

こうした画期的な研究成果が得られた一つの要因として、2光子励起顕微鏡法という新しい実験手法の存在があります。これまでの神経科学では、マクロなレベルでのイメージング手法としてPET(陽電子放射断層撮影)、SPECT(単一光子放射断層撮影)やfMRI(機能的磁気共鳴画像法)が利用されてきました。一方、ミクロなレベルでは、電気生理学的な手法である微小電極法やパッチクランプ法を用いた研究が従来の主流でした。そこに、レーザ技術の進歩に伴い、イメージング手法である2光子励起顕微鏡法が利用されるようになったのです。2光子励起法自体は、神経科学に応用されてからあまり時間が経っておらず、生きた動物の脳のやや深部における微細構造を観察するうえで有効な手法であるため、今後は新しい実験手法としてさらに応用が進むものと期待されています。

今後の研究の方向性と課題

今回紹介したAMED-CRESTの成果例にみると、慢性の痛みの研究に関しては、原因となる種々の疾患等や怪我に関する病態の研究(疾患研究)と、末梢の神経から脊髄、脳に至るまでの一連の神経の経路を解析できる神経科学とをつなぐ横断的なアプローチの研究が重要だといえます。加えて、慢性の痛みに関する研究に限ったことではありませんが、2光子励起顕微鏡法のような新しい実験手法を積極的に取り入れることが新発見・成果を得る上で重要なこともわかります。近年の神経科学では、光遺伝学、化学遺伝学、磁気遺伝学といった特定の神経の活動を人為的にコントロールする新しい手法も導入されています。これらの新しい技術や実験手法を活用できるような基盤整備は、科学技術・イノベーション政策上の重要な課題といえるでしょう。

図表1. アロディニアの症状を再現したマウスにおける脳内の変化イメージ

図表2. 2光子励起顕微鏡法による観察像

 

図表1、2共に、大学共同利用機関法人自然科学研究機構生理学研究所 鍋倉淳一氏、山梨大学 小泉修一氏より提供

 

出典

1) AMED、慢性の痛み解明研究事業、

http://www.amed.go.jp/content/files/jp/koubo/01052...

2) 厚生労働省「慢性の痛みに関する検討会」、今後の慢性の痛み対策について、平成22年9月

3) AMED、革新的先端研究開発支援事業、

http://www.amed.go.jp/program/list/04/02/023.html

4) AMED、平成28年度研究事業成果集、「慢性疼痛のメカニズムを解明」

5) 大学共同利用機関法人自然科学研究機構生理学研究所、2016年4月13日付プレスリリース「末梢神経損傷によって未熟化した神経膠細胞(グリア細胞)が難治性慢性疼痛を起こす脳内回路を作る-難治性慢性疼痛の予防・治療に期待-」、http://www.nips.ac.jp/release/2016/04/post_318.htm...

6) Kim SK et al., Cortical astrocytes rewire somatosensory cortical circuits for peripheral neuropathic pain. Journal of Clinical Investigation, 2016 May 2; 26(5): 983-97. doi: 10.1172/JCI82859. Epub 2016 Apr 11.

7) 文部科学省、平成21年度戦略目標、神経細胞ネットワークの形成・動作の制御機構の解明

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/21/02/attach/1...

8) AMED、脳神経回路の形成・動作原理の解明と制御技術の創出(終了領域)、

http://www.amed.go.jp/program/list/04/02/023_05.ht...

 

用語解説: 2光子励起法

自然には起こらない現象として「2つの光子を同時に蛍光物質に与えて蛍光を起こす」方法をいう。「フェムト秒パルスレーザ」という超短時間(千兆分の1から十兆分の1秒)のみエネルギーをもつ特殊なレーザを使い、加えて、そのレーザをレンズでうまくコントロールして観察の対象に当てることにより、2光子励起状態となる。2光子吸収は焦点のみで起きるため、自動的に共焦点効果を得ることができ、3次元の撮像が可能である。画像は、レーザを走査することで得られる。2光子励起法では、生体組織の透過性に優れる近赤外光レーザを用いるため、組織表面から数百マイクロメートルの深部を少ないダメージで観察できる。このため、生きた動物の脳内で起こっている神経細胞の活動や血流などの観察が可能である。

 

これまでの科学技術予測調査における関連トピック

・慢性疼痛の病態解明による分子標的薬の開発(2015年:第10回調査)

・疼痛に対する無害で安全なコントロール法が普及する(2001年:第7回調査)

・疼痛に対する無害で安全なコントロール法が実用化される(1997年:第6回調査)

・疼痛に対して無害で安全なコントロールが実用化される(1992年:第5回調査)

更にさかのぼると、1987年の第4回、1982年の第3回、1971年の第1回の調査でも、上記と同様の「疼痛」に関するトピックが掲げられています。


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